2017年12月19日火曜日

寄り過ぎ注意

「越前がにだぞっ」と


























カニって、近づくと
怪獣にしか見えません。
細部に目を凝らしすぎると
食欲に影響します。

昨日の続き。
思ってた以上に違ってる

いろんな人が
ある言葉を同じ背景、同じニュアンスで
使うことは、まず、ありえなくて。
人によって
少しずつ、またはガラッと違っていて
小さな違いを素通りしながら
話しあいを続けると

肝心なところで、大きな違いとなって露呈して
前に進めなくなったりするわけです。

だから、ファシリテーターは
普通ならスルーする、細かなニュアンスの差異にも
立ち止まって、深く見つめるよう促します。

なのですが、カニに近寄りすぎると
怖くなって食欲を減退させるように
あらゆる言葉のニュアンスの違いに
いちいち反応していたら
おいそれとは言葉が発せられない
窮屈な空気が漂ってしまうでしょう。

厳密に話すことは大事ですが
ずっと厳密だと、話せなくなります。

意味の曖昧な言葉。
色んな解釈が許される
隙間だらけの言葉。

そういう、「脇の甘い言葉」を
ゆるーく、やわらかく
やり取りする中で
話が深まっていく段階というのが
ありますから。

「脇の甘い言葉」というのも
なんとなく意味がわかるようでいて
厳密にはどういうことなのか
解釈し始めようとすると
何通りもの解釈が出てきます。

でも、このような言葉のやりとりが
許容された場ならではの
刺激しあい、閃き、インスピレーションが
あるわけです。

このような時、ファシリテーターは

互いに解釈は
少しずつすれ違い、ズレて、ぶつかっていても
大勢に影響なしと判断し、おかまいなしに
ノリで、グイグイ話しが続く様子を見守ります。
時に、それを助長しながら。

ただ、場に流されるのではなく、あくまでも
「脇の甘い言葉がやり取りされている」
「ここは、このノリでいける」
という、場に対する感覚は維持しながら。

やり取りされる言葉に対して
ニュアンスの違いを感じ取る
繊細で微視的な「虫の目」を持ちつつも
それに囚われすぎず

全体の大きな流れを感じられるように
ノリからちょっと距離を置いた俯瞰的な「鳥の目」で
場がどこに向かおうとしているのかを見つめます。

そうすることによって
細かいニュアンスの違いを
わかりつつも、スルーし

話が核心に迫ってきたところで
より重要なニュアンスの違いに対して
問いかけることができると思うのです。

鳥の目になっているファシリテーターは
もしかしたら、話しあっている人からは
消滅しているように見えるかもしれません。


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