2022年3月3日木曜日

相手と出会うということは。

以前、蕎麦屋さんと話した時のこと。
今でも印象に残っている言葉があります。

蕎麦屋さんの仕事ぶりについて、伺っていたのですが
前日のうちに始まる仕込みから始まって、翌日の蕎麦打ちをへて
夜の片付け、そしてまた仕込みまで
同じことを、毎日繰り返しているように、僕には聞こえました。

それで「毎日同じで、飽きないですか?」と尋ねました。
その蕎麦屋さんの答えが、今も心の奥に残っています。
「同じということはないです。蕎麦粉は毎日ちがいますから」

細かい言葉の表現は忘れましたたが
彼の言葉から僕が受け取った意味は

「毎日向き合う蕎麦粉の状態も、その日の天気も、少しずつ違うから
その日にすべき仕事、その進め方も、少しずつ違う
同じことをしているように見えて、同じ日は一日もない」

というものでした。

蕎麦粉という生き物を扱う仕事のあり方とは
このようなものかと感心し
自分の物事の捉え方が、あまりに機械的で単純だったことを恥じました。

そういえば、包丁を作る刃物職人さんも
よく似たことを言っていたような記憶が、今、蘇りました。
同じ包丁をいくつも作っているように見えて
素材の状態は、ひとつひとつ違うから
その作り方もまた、少しずつ違う、と。

相手が生き物であれ、鉄であれ
同じものに出会うことは、ほとんどなくて
同じに見えて、少しずつ、時に大きく違う対象であることを
理解することが、ちゃんと出会う、関わるということなのだなと思いました。



 

2022年3月2日水曜日

むっくり。

 庭先の花壇に、チューリップの球根から芽が

むっくりと頭を出しているのを見つけました。

木に咲く花は、高い位置にありまし、鮮やかな色で目立ちますが

地面からわずか数センチ、頭を出している芽のことを

うっかり今日まで見逃していました。


よくよく見てみると、とても力強いです。

鍛え上げたアスリートの力強さではなく

天に向かってジリジリと一歩も引かずに伸びていく

覚悟を決めたような強さを感じます。

何を頼りに、このタイミングで出てきたのだろうと

尋ねてみたくもなります。


時計もタイマーもなく、お互いに合図をするわけでもなく

いくつもの芽が、ほとんど時を同じくして頭を出し始めています。





2022年3月1日火曜日

咲く花を見て思うのは。

 雪国の冬の空はどんより曇ることが多いので

気持ちもどんよりしがちです。

あくまでも僕個人の気持ちで

冬でも活力に満ちた方は多くいらっしゃいますが。


どんよりする景色の中に、早々と花が咲くと

一際目立ち、それに目をとめると、じっと見入ってしまいます。

見ている間、心の中にほんのり明かりを灯してくれるように感じながら。


こんな季節だからこそ、こんな景色の中だからこそ

色鮮やかな花は、とても希少で、価値の高いものに思えます。

でも、ふと立ちどまって考えてみると

花にとって、それを咲かせている木にとっては

花が咲くという現象は、自分が生きている間に生じる

ひとつの場面にすぎなくても、花が咲いていなくても

それはその木にとって、かけがえのない毎日のはずです。


花を咲かせることに向かって日々を生きている、というのは

人間が植物に与えがちな物語で、植物が側からすると

花が咲いていようが、じっと冬に耐えていようが

自分が一生懸命(これも人間による意味付けですが)生きている

時間であることには変わらないでしょう。


鮮やかな花に見惚れているうちに

見失いがちな、花が咲いていない日々のかけがえのなさを思いました。