2022年6月6日月曜日

人に語りかけるということは。

「 私は私の思いを語りたいんだ」という欲求のあり方と

「私は他でもないあなたに私の思いを伝えたいんだ」という欲求のあり方は

文章ではよく似た表現になりますが、現実に対して持ちえる影響については

ずいぶんと違ったものになるのだということを、幾度も経験してきました。


私が私の思いをとにかく語りたい時、意識は自分自身に集中します。

自分の思いをいかに自分にわからせるかを意識して語っているとも言えます。

相手は自分の話を聞いてくれるなら、極端な話、誰でもよくなります。

良い聞き手に恵まれれば、これほど幸せなことはなく

気持ちよく話すことができるでしょう。

しかし、聞き手は、もしかしたら次第に苦痛を感じ始めるかもしれません。

なぜならば、自分が聞かされていることは、自分の興味関心には特に関係ないかもしれず

聴くことが自分に何かをもたらすよりも

時間や忍耐を奪っていくかもしれないからです。


一方、私が特定の誰かに対してこそ、自分の思いを伝えたいと思ったときには

相手が誰か、その相手は何に価値を置く人なのか、といったことがまず考慮されます。

なぜならば、他でもないその人に伝えたいならば

その人が受け止めやすい内容、話し方を選ぶ必要があるからです。

この場合、聞かされる相手が払う労力は、上述の場合と比べて低くなるでしょう。

いやおうもなく聞かされるのではなく、自分に語りかけてくれる、からです。


人を魅きつける語り手は、あきらかに後者のスタンスに立っているように思えます。

目の前の人、ひとりひとりを大切にし、個々にプレゼントをするように語りかけます。

だから、聞き手は「あぁ、他でもない、私に語りかけているんだ」と感じ

耳を傾け、惹きつけられていきます。


どんなに明快な原稿を用意しても、話し手の意識が原稿に集中しているならば

せっかくの明快なスピーチは空回りしてしまうことになるでしょう。

話し手は、相手よりも原稿を重視していることが伝わってしまうからです。


おそらく、文章を書く際にも同じようなことが起きるのではないかと思います。

特定の読み手を意識した文章は伝わりやすく

独り言のような文章は散漫な印象を与えたり

思い込みがすぎるように受け止められたりするでしょう。


このように振り返ってくると、では僕が書いているこの文章はどうなのだ

というブーメランに襲われることになりますが

この文章・ブログは、まずもって

自分の脳内に浮かぶ思考の断片を掬い取ることに重きを置いていて

特定の読者をまったく想定していません。いわゆる独り言です。

ここで十分に独り言をすることによって、いざ人の前に立つとき

目の前の人を大切に思える、そんなことが起きるように思います。

僕の独り言を、うっかり読んでしまった方がいたら、すいません。ありがとうございます。

いつかお会いしたら、目の前のあなたにこそ、語りかけます。




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